違うことのデメリット
複数の中から選ばれる人間になるには違いをつけるしかありません。
選ばれるということは価値があるということです。選ばれないということは価値がないということです。
もし他の商品と違いをつけなければ、あなたはショッピングカートの中に入れてもらえず、棚の奥底で眠り、やがて暗い倉庫へと連れていかれるでしょう。そのあとのことは恐ろしくて考えられません。
しかし他と違いをつけることがすべてではありません。違うことにもいい面と悪い面があるのです。
違うことのデメリット
違うことに価値があるといえば、違うことが素晴らしく思えて、なんでも無理矢理に違いをつけようとする人がいます。
ですが、やはり物事には程度というものがあります。違いにも、ちょうどいい長さと幅があり、それを見極めないと、おかしな違い、行き過ぎた違いになります。
その他大勢が歩く方向と逆の方向をあなたは歩きます。その先に宝が待っていれば、ひとり占めすることができますが、そうでなければ飢え死にします。みんなと歩いていれば、最低限必要なものは手に入ります。
いつもはみんなと一緒に仲良く歩いているあなたが、いつ違う方向に歩くのか、そのタイミングが大事です。
違いは冒険です。ときには危険な冒険をしなければ新しい畑を耕すことはできません。
みんなと手をつないだままでは新しい土地を見つけることはできません。みんなといることで得られる、安全と安定した利益を捨てる覚悟が必要です。
その覚悟がなければ違いをつけるのはデメリットでしかありません。
違いはしばしば奇抜であり、それは偏見の種にもなります。偏見は差別になり、差別は小さな痛みへと枝分かれしていきます。
周りと差をつけて、自分だけ利益を得ようとすれば攻撃の的になります。自分のためだけの違いではなく、違いによって得られた利益によってみんなを満足させる違いでなくてはいけません。
自己中心的な違いは被害を生みます。行き過ぎた違いは害になるのです。
自分は周りと違って特別なのだから、なにをしてもいいというわけではありません。
みんなのルールであって、みんなと違う自分であれば守る必要はない、というわけではありません。
いままでの概念を壊す違いを作った偉人はいますが、それもみんなから支持された違いだからこそです。