「好き!」なら好きで終わる。「嫌い!」なら嫌いで終わる。

どんどこ鳴るよ、お父さん!
ふんどししめて、ネクタイしめて、
きょうも、げんきーにいってくよー!
ここ1週間以内、ストーブについた埃を払ったすべての人にこの記事を捧ぐ。 –浜田かんちろう
♡はじめての方へ!♡
「感情」と「意見」をわけてみる
☆好き、嫌いは置いておいて、まずそのことについてじっくり考えてみる。
☆好きなら「好き!」で終わる。嫌いなら、「嫌い!」で終わる。
☆ときに、「感情」と「意見」は、きっぱり断ちきったほうがよいのかもしれない。
☆私たちは、好きなものを「なぜ好きか」と語ることはできても、嫌いなものを「なぜ嫌いか」と語ることはできない。
☆自分のよりよい生活のためのヒントは、さまざまなものに隠されている。本や漫画やゲームの中に。そして! 隠されているヒントの数は、自分の「好き、嫌い」という感情の有無に左右されない。
☆好きの中に、生き方のヒントを発見しやすいのは、単純に、そのことに触れる時間、それについて考える時間が、好きでもないものと比べて、圧倒的に多いからである。
☆花はなぜ美しいかと、一言で説明できる人は、まず「花がめちゃ好き」な人が多い。でも、それが「めちゃ好き」ではなく、「まあまあ好き」でも「どちらかといえば好き」でも、「興味ない」といった人でも、なぜ美しいかと一言で答えることはできる!
☆物事について深く考えるときに、それが好きかどうかは別になくてもいい。(あったほうがいいのは、いうまでもないが)
☆これは1つの提案である。「たまには、いつもと違うところでヒントを探しにいくのも悪くないんじゃない?」
☆俺たちは、なにか「特別な出来事が起きない限り自分は変わらないし、物事を進めることもできない」と思いがち。
☆絶好の機会や、天才的なひらめきや、優秀な道具を自分が手に入れない限り! なにもはじまらないと思っている。よく聞いてくれ。そう思うのは実に”正しい”。そして、あなたは、絶好の機会も天才的なひらめきも優秀な道具も、すでに、ずっと前から! その手にぎゅっと握りしめているのだっ!
☆ないないないない! という人は、「ある」ことに気づくだけだ。
☆真の成長とは、現在の自分の手足の延長線上にあるのではなく、別人の手足にこそ宿るもの。
☆あなたは、リレーでバトンを渡された、次の走者にならなければいけない。
☆昨日を超える、きょうとなれ! という浜田かんちろうの言葉は、昨日から渡されたバトンを手に、きょう思いっっっっきり走れ!!!!! ということである。
☆第2走者は第1走者と同じトラックを走るのでなければ、同じ会場で走るのでもない。そこはもう別の空間、別の世界なのである。
☆名前は同じだろう、小学生時代を思い出せるだろう、昨日の夕飯がわかるだろう、部屋に置いてある本は読みかけだろう。ただ、それだけだ。それらは、バトンについていた、前の走者のかいた汗に過ぎない。
【ポイント】
☆「好き!」なら好きで終わる。「嫌い!」なら嫌いで終わる。
1000回目の誕生日
俺は元気な80歳。
俺は自分のことをまだまだ若いと思っているが、世間では「じじい」らしい。
そして「じじい」は、若者と比べて、新しいことに挑戦することはあまりせず、ひっそりと暮らすのが、世間一般的な「イメージ」らしい。
なるほど、つまらん。
「80」という俺の年齢なんて、偉人たちと比べたら赤ちゃんみたいなもんだ。
坂本龍馬の兄さんは、184歳である。
レオナルド・ダ・ヴィンチのおっちゃんは、568歳である。
ソクラテスのじっちゃんは、2400歳を超えている。
もちろん、彼らは「一般的にいえば」すでに死んでいる。
だが、もしそうなら、なぜ俺たちはこの世にいない彼らの名前を知っているのだろう? なぜ彼らがどう時代を変えたのか知っているのだろう?
それは、彼らの残した言葉がいまも生きつづけているから。
肉体の誕生日が終わっていても、彼らの思想の誕生日はこれからもつづいていく。
俺は、100歳かそこらへんで肉体とさよならをする。
だが、その先もぴんぴん生きるであろう、俺の「言葉」たちのために、いま、思いっきり考えて、遊ぶのだ!
みんな、自分の体の寿命を真面目に伸ばそうとしているが、それよりも「言葉の寿命」を伸ばそうではないか!
そうすれば、俺たちは100回どころか、300回でも1000回でも自分の誕生日を迎えることができる!
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