仕事なんてやってられるかっ! と私は思った。

土曜の夜、友人たちと楽しい夜を過ごしたあと、私は家に帰り、ベッドで寝ころびながらユーチューブで音楽を聞く。
ふんふん♪ と陽気に鼻歌を歌う。
「ああ、いまの私ならどんなことだってうまくいきそうだ」
そんな、この上なくいい気分もつかの間、ふと、頭の中である考えがよぎる。
「そうか、明日はまだ日曜だけど、その次の日は仕事にいかなきゃいけないんだ」
妙な緊張感と、やるせない気持ちで体が固くなる。
逃れられない現実。
何日か働けば休みはある。だが、休みの次はまた働かなくてはならない。定年退職なんて火星よりも遠い。
当たり前のことだ。世界中で私だけが働いているんじゃなくて、大人になればみんな働くのが常識。
だからこそ「仕事なんてやりたくない」
という私の考えは、わがままでどうしようもない考えなのだ。
考えるたびに、自分が憂鬱になるのは百も承知なのに、なのに! なのに!! つい考えてしまうんだよなあ。
いや、考えずにはいられないんだ。この考えは、いまの私の心の声をストレートに表現している。
「仕事なんてやってられるかっ!」
と、私の心が悲鳴を上げている。
今回は、その心の声を整理して、客観的に見つめてみようじゃないか。どうしてそう思うのか、またその考えを「ポジティブ」に捉える方法はないのか? もっと違う視点で見ることができないのか?
これは「仕事やってられるかっ!」と叫びたくなった、私自身の「考えを整理」するノートだ。
仕事が好きじゃない
いまの仕事が好きじゃない。仕事をしていて幸せな気分になったことはないし「よし、やるぞっ!」と意気込んだこともない。
仕事に夢中になれない。
ただの雑務の繰り返し。それは、私の体力と精神力をすり減らしていくだけで、満足感なんてこれっぽっちも与えてくれない。
もし、仕事を好きになれたら……。
きっと仕事が楽しくなる。早く仕事がしたくて、次の日が待ち遠しくなる。仕事から帰ったあとも、家で仕事をするようになる。
好きなことをやるのは苦痛ではないし、何時間でも飽きずに続けることができる。
子どもがおもちゃで遊び、外を走り回るように。
純粋な好奇心を持って、仕事をすることができたらどんなにいいだろう。
果たして、それは不可能なことなのか。意味のない、ただの夢物語に過ぎないのか。
いいや、意味はある。
仕事を好きになるメリット
私が仕事を好きになれば、きっと仕事の量も質も高まるだろう。気持ちに余裕が生まれ、周囲への気配りもできるかもしれない。なにより、健全な精神を手に入れることができる。
これらの変化は、社会に対してメリットになる。
仕事の量や質が高くなれば会社に貢献できる。私が気分よく話しかければ、相手も気分がよくなる。気持ちに余裕が生まれれば、身近な人の相談に乗ったり、悩みを解決する手助けもできる。自分が心身ともに、健康であれば、親や周りの人に迷惑をかけることもない。
そうだ、自分が仕事を好きになれば、これだけ素敵なことができるんだ。
仕事を好きになれない理由
問題はどうやって仕事を好きになるか……。
まず、仕事を好きになれない理由。
〇マニュアルに従うばかりで、自分の思うように仕事ができない。
〇仕事場の雰囲気が楽しくない。
〇やりがいを感じない。
〇自分のイメージしていた仕事内容ではない。
など。これらの問題をひとつひとつ解決していけば「仕事が好きな自分」に近づいていくだろう。
心と体の距離を縮める
仕事を好きになる方法として、私は「心と体の距離を縮める」というのを思いついた。
自分のやりたいことをやる。
それがまず大原則。
そして、自分がやりたいと思ったその瞬間から、やりたいことをやるまでの距離を縮めれば縮めるほどよい、という法則。
例えば、自分がビールを飲みたい! と思ったその瞬間から、ビールを手にとって飲むまでの目的の達成距離が短ければ短いほどハッピーになれるということ。
あの服がほしい、このドラマを見たい。このアイデアを発案したい、上司にこういってやりたい、この子ともっと親密になりたい。こういう仕事がしたい!
など。私たちはたくさんの「したい!」を抱えているのに関わらず、それを「しよう」とする積極的な行動力に乏しい。
心の中でしたいと思ったことを体でしていない。心と体の距離が遠いのだ。
自分の望みを叶えるために動く。という姿勢が私にはまるで備わっていない。
これでは「好きな仕事」をすることなく、「仕事なんてやってられるかっ!」と口だけで不満をいいながら生きていくことになる。
変わらなきゃいけない、行動しなきゃいけない。
だって、自分の望みを叶えるのは自分だからだ。
待っていれば向こうから楽しいことがやってくる。なんて、都合のいい世界にいるわけじゃないんだ。欲しいものは、自分の手でつかみとるしかない!