自分のものは自分のものであるという固定観念を壊す
いま、あなたが持っているものは本当にあなたのものでしょうか?
身に着けているその服や、持っているバッグや、手にしているボールペン、腕に着けた腕時計、眼鏡をしている人は、眼鏡が、本当にあなたのものといえるでしょうか?
恐らく、ほとんどの人が、なんの疑いもなく「そうだ、これは自分のものだ」と答えるでしょう。
いますぐ服をぜんぶ脱いで、バッグの中身をすべて見ず知らずの他人に渡せる人はなかなかいないと思います。
固定観念とは、固着した考えです。強い思いこみによって、思考を拘束され、行動を規定されます。ひとつの考えに縛られて、その考えは間違っていますよといわれても、簡単に肯定することはできません。
「自分の持っているものは自分のものだ」という考えは、もしかすると固定観念なのかもしれません。
自分の持っているものは自分のものだという固定観念
この固定観念を外してみることにします。つまり、自分の持っているものは自分のものではない、と考えるようにします。これによってどういった変化があり、またメリットがあるのか想像してみましょう。
あなたがいま、持っているスマートフォンを私が取り上げて、目の前で鉄製のハンマーを使い粉々に粉砕したとします。
このときの反応を固定観念を外す前とあとで比べてみます。
まず、固定観念を外す前では、自分のものは自分のものだと考えていますから、スマートフォンを壊されたら怒りを感じたり、悲しみを感じたり、恐怖を感じたりします。自分のものが壊されるということは、たとえそれが自分の体の一部でなかったとしても心に痛みが生じます。
次に、固定観念を外したあとのことを考察します。持っていたスマートフォンを目の前で粉々にされましたが、そのスマートフォンは自分のものではありません。その人は少なくともそう思っています。ここで、さっきの事例であったような怒りや悲しみや恐怖をこの人が感じるでしょうか。
・この人がスマートフォンを持っていたということは、スマートフォンがこの人にとってなにかしら必要であったと考えることができる、自分のものではなくても、自分にとって必要性のあるものを壊されれば怒りや悲しみを感じることはあるだろう。
・これは、テレビでどこかのだれかの交通事故を見るようなものだ。画面に映った車は無残に壊されているが、それは自分のものではなくどこかのだれかの車なので自分はその車が破壊されていることについて特に悲しいとか怒りを感じることはない。今回のケースでも同じことがいえる。スマートフォンが自分のものではないと思っているなら別になにも感じない。
自分にとって必要だったものが壊されることによって生まれる負の感情、それは固定観念を外しても外さなくてもある程度は発生するようです。しかし、自分の所有していたものが壊されるというもっと強い痛みは、固定観念を外すことによって軽減されるようです。
壊れたスマートフォンがだれかのスマートフォンと思いこめば、苦しみはぐっと抑えられます。ここでもやはり、自分のものは自分のものだという固定観念が働いています。つまり、自分のものではないものが、焼かれようが潰されようが自分には被害はない、という結論へと着地します。
だれだって、他人の家が火事で焼かれていても傍観者です。しかし、その火が隣の自分の家に移ろうとしていたら大問題です。のんびり見ていることなんかできませんよね。
自分の家は自分のものです。権利上、家族や親せきが家を所有していたり、不動産会社が管理しているものだとしても、自分がそこに住んでいるなら、自分の部屋には数多くの自分が持っているものがあり、それが火事によって失われるかもしれないので、やはり傍観者でいることはできません。
もし家が全焼してしまったら、深いため息をつくことになるでしょう。ですが、もう無くなってしまったものにいつまでも気持ちを落ちこませてはいけません。
固定観念を外すことで、失ってしまったものに対する苦しみを軽減することができます。
無くしたものが自分のものではないと思えるようになれば、被害者ではなく、傍観者になることができます。
固定観念を外すメリット
固定観念を外すメリットは、自分のものが傷つけられたことによる苦しみを抑える、これから、失ったり、盗まれたりする不安な心を取り除くことです。
自分の持っている財布の中身が自分のものではない、とすると。その財布は道端で拾った他人の財布とあまり変わりません。
そうすると、泥棒がその財布を盗んでも、特になにも思わないということになります。
もし財布の中身が自分の全財産だったら? さすがに腹が立つか?
いいや、それではまだ、自分の持っているものが自分のものだという固定観念が働いています。
つまり、財布やお金、銀行の中に入っているお金も含めて、すべて自分のものではないということです。(ここではそう考えることにする)
だれかのお金が盗まれても、同情することはあっても自分が傷つくことはほとんどないでしょう。
ですが、お金が盗まれたことにより、そのお金で食べようと思っていた晩ご飯が食べられなくなった。食べられなくなったことにより空腹になり、空腹による苦しみが発生した。その苦しみの原因はなにか、遡ってみると、それはお金が盗まれたことが一番の原因だと気づく。
ただし、重要なのは、自分のお金だと思っていたお金が盗まれて空腹につながった空腹の苦しみと、他人のお金だと思っていたお金が盗まれて空腹につながった空腹の苦しみは違うということです。
同じ空腹でも、他人のお金ならば、まああれは他人のお金だからな、と気持ちを切り替えやすくなります。しかし、自分のお金なら、なんで盗まれなくてはいけなかったのか、とさらなる後悔に進みやすい。
起こってしまった問題の原因が自分によるものなのか、他人によるものなのか、その違いによって心にかかる重みも変わってくるのです。
心の負担を少しでも和らげる。自分の持っているものが自分のものである、という固定観念を外すメリットです。