汚れるドラゴンクエスト
日本の代表的なテレビゲーム、ドラゴンクエスト。
革新的なゲームデザインは時代と共に進化し、多くのプレイヤーを徹夜に追いこむほど熱中させました。
キャラクター、世界観、ストーリー、音楽、町の人がしゃべるセリフのひとつひとつがドラゴンクエストの世界を構成し、魅力を与えています。
時代と共に進化したのはゲームシステムだったり、新しいストーリーだったり、映像の表現力だったりします。
ゲームの映像がきれいになり、キャラクターの服や顔の表情がはっきりわかるようになり、民家のレンガの色や、草木が風で揺れる様子も表現されるようになりました。
自然の美しさや造形物の細かさを知ることができたと同時に、土ぼこりや泥などあまり美しくないものも目にするようになりました。
時代が変わると、ゲームの表現力も上がります。より高性能で高精細な表現になります。
だから、昔のドラクエよりいまのドラクエのほうが「汚れている」といえます。
これは、汚れを表現できるくらい表現技術が上がったといいかえることができます。
汚れるドラクエ
汚れが見えるということは大事なことです。
現実では汚れがたくさんあります。花壇に咲いているきれいな花でも、近くで見ると黒い汚れが付いていたり花びらに穴が開いていたりします。
汚れがまったくないというのは、非現実的なのです。
テレビゲームの中の世界は非現実的です。だからこそリアリティを追及しなければならないのです。
わからなかったものがわかるようになる、見えなかったものが見えるようになる、より細かく、より明確に。テレビゲームは多くの場合そういう進化の線上にあります。
前作よりもいいものを作って世の中にださなければいけない。作り手はそう考えます。
商品は作り続けなくては売れない。前作がとても素晴らしい名作だったなら、それを超える作品を作らなければならない。
前作よりもいいものとは、どういうものか。
前作よりも、いいストーリー、いい音楽、いいシステムであることは間違いない。だが前作と同じであるのはどうだろう。
前作と同じものを作るなら、それは前作で十分だ。テレビゲームにしてもそれ以外にしても、常に新しい商品を生まないと進化はない。進化は必要だ。進化がなければ発展もない。
新しいものにチャレンジして、いままでにはない、いいものを作ろうと考えなければ、ドラゴンクエストも誕生しなかっただろう。
ゲームの進化、発展。その中に映像表現の強化がある。強化というのはより美しく、より高精細、つまり現実に近いリアリティのある表現をすること。
リアリティのある表現は、きれいなものだけでなく、汚いものも表現しなければならない。
非現実的なテレビゲーム、ドラゴンクエストが目指すのは、ひとつに、汚れのある現実さである。