環境が変われば自分も変わる
みんなと違うということは利益を生みます。
すべて同じ色のドレスを着たぬいぐるみのクマが100体いるとします。あなたはその中からどのクマを選ぶでしょうか。どうせみんな同じなのだから、一番近い目の前のクマを選ぶでしょうか。
このとき、あなたに選ばれるクマの確率は、100体同じでしょうか。
あなたの手の届く範囲にあるクマは、手の届かない後ろのクマに比べて選択されやすいでしょう。手の届くクマの中でもあなたの正面に置いてあるクマが最も選ばれやすいといえるでしょう。
そのクマには、ほかの99体のクマと比べて、違いがあったのです。クマ自体の違いではなく、クマと相手との距離の違いです。
もし、99体のクマが消えて、1体のクマだけだとしたら。違いはなくなり絶対的なものになります。
違いは自分とその他大勢との相対的なものです。
一歩引いてみる
人と違う、人と同じ。そのすべての違いのものさしは自分とその他大勢です。
朝起きて、きょう着る服を決めるときに、あなたは自分の着たいと思う服を着ているでしょうか。
もしきょうの予定が家族と外食なら、会社の飲み会なら、友だちとの遊びなら、きっと着る服はそれぞれ違うはずです。
それに、家族と話すときと上司と話すときは違うはずです。内容もしゃべり方も、性格も違うかもしれません。
どの自分が一番正しい自分なのでしょうか。理想の自分はどこに顔をだしているのでしょうか。
毎日、だれとどこでどのようなことをするかで自分は作られています。会話の数だけ自分の中の価値観が変わり、見るもの聞いたもの、触ったものの数でこの先、どんな選択をするのかが決まります。
昨日食べたもので自分の体が作られているように、昨日いた場所と人との関りがきょうの自分の道を作っているのです。
その場所から一歩引いてみると、新たな自分の道が見えてくるかもしれません。
日常は、あなたがとても長い間座っている椅子のようなものです。あなたは椅子に座ってそこから見える範囲の出来事にさまざまな感情をだして毎日を過ごしています。
椅子から立ち上がるなんて頭の隅にもないあなたは、椅子の周りの世界がすべてだと思います。本当は広いのだと知識としては知っていますが、体は理解していません。なぜならその体は、その場所で作られた体だからです。
違いをつける必要も、みんなと同じである必要もありません。椅子から立ち上がって、そのまま1日歩いて、後ろを振り返ってください。
いままで近くて巨大だったものは小さくなり、遠くて小さいものだったものは大きくなっているはずです。世界がひっくり返ったような不思議な体験ができます。
理想の自分は自分が作ったのではなく、椅子の周りにあった環境が作ったものです。つまり、環境が変われば、理想の自分も変わり、理想へと進む自分のいまの心も変わります。